友人から 本の話

休日でも仕事の人間関係などで
いつも悩まされるときは、
本を読んでそれらのことを
忘れるように努めるんだって。

友人がそんな状況に
置かれていたのも
知らなかったし、
本をまるで自分を守るように
読んでいるって
初めて聞いた。

人生の蓄えがまたひとつ増えた。

しかし、私の場合はだれかになにかを
伝えているのだろうか。

しゃべらないと伝わらない。

時間感覚・身体感覚

一人で生活していると
自分のペースで
すべてをこなそうとする。

しかしたまに、親戚などと過ごすと
生活のリズムと体の動かし方、
または時間の使い方が
違うことに気づく。

よ〜く見なくても
何日か一緒にいれば
いつの間にか身についていた。

つまり、生活の知恵を
授かっているとおもっている。

これは、ありがたいことだ。
ありがたや〜。

買い物をする

買い物をすると疲れる。
それは精一杯選んだり
楽しんだりしているからだろう。

でも、それによって、
やるはずだったことに
エネルギーを割けないのは
もったいない。
年明けだからこそ思ったこと。

それでも、
楽しく買い物ができる時間があることは
しあわせだ。

不全

不全とは相手からもらったことばだ。
完全ではないという意味だ。
僕が不全でないから、
もがいているのではないかと。

それに対し
僕は、僕として何者かになろうとしている。
それは、他人から認められるものではない。
自分が自分を認める自分になるのだ。

それには、
不全という言葉は適さないと考えている。
なぜなら、
自分だけの課題ではないからだ。

深層問題はとしては、
社会との適切な接点を持つことだと思う。

そうなんだ。
自分が欠けていない存在だと
自身で思っていたとしても
社会との扉の前で
もしくは、
扉から数歩進んだ場所で
止まっている。
または、蹴散らされている。

だから、
何かを見つけるんだ、
目標を立てるんだ。

見えない壁をまるでこじ開けるようにして
飄々とあたかも始めから
その場にいたかのようにするために。

それは自分のためでもあり、
良い環境形成でもあるはずだ。

欠落と自立

私の 1、2歳ごろを知っているおばの旦那が亡くなった。
その小さかったころは、毎週どこかに連れて行ってもらい遊んでもらったという。それは最近知った。
でも、記憶がない。

自分の記憶のなかった頃の自分を知っている人ってなんか不思議な存在だ。
親以外にも見ていてくれていた人がいたんだと思う。

そう思うと、不思議な関係ではないか。
だって、時間軸がとてもじゃないけどずれているのだから。

そして、自分を長く知ってくれていた人がなくなると、自分の世界がまた一つ小さくなる。

自分の足で歩く責任の重さがちょっとだか増えた気がする。

ようやく自立の夜明けが来たようだ。